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髙橋大輔にある日突然はまってしまった日記

祈る。

ちょっとリアルがしんどいので、気分転換。好きなもののことを考える時間ほど幸せな時はない。つらい気持ちになっても、楽しい。

前の前の記事で、私にとって髙橋大輔はどういう存在になのかと考えていたけれど、数ヶ月経っていろいろなことがあり、やはり後者のはまり方をしているなと気づいた。私は作品のファンでもあるけれど、この人のファンなんだ、
アイドル扱いでも神様扱いでもなく、この人の人生を応援したい、と思う。この人は生きるのがしんどそうだなあ、わかるなあ、でもそんな気持ちをこの演技にできるなんて、やっぱり凄いな。そう思うから応援したいし、憧れるし、何やってんだと言いたくなることもあるけれど、尊敬する。
それは、自分が自分のことを応援するようなものなのかもしれない。
でも、同じような人は私以外にも居るんじゃないだろうか。

彼の弱さ。
人間味があるとか、演技とのギャップがいいとか、カワイイと言って愛玩するような気持ちもあるにはあるけれど、彼の弱さは私にとって、ちょっと見るのがつらい。あまりにも自分と似ているから。
だから、彼を架空の存在だと勘違いして、楽観的に消費することができない。
でも、彼がその弱さを克服出来ずに、抱えたままなんとか付き合いながら生きている姿を見るのは、私にとってとても嬉しいことであるのも確かだった。
嵐の中で難破船にしがみついたまま、次の波が来るまでの一瞬にだけ、互いの生存を確認しあっているような。
そんな勝手なシンパシーを、彼に感じている。
髙橋大輔という人間が生きているだけで、私は救われている。

だから私は、完全な好みで演技の感想を言うけれど、祈りもする。
彼が願った勝ち方で勝ちますように。
彼が願った認められ方で認められますように。

だから強引に、勝たせようとしたり、認めさせようとしたりしたくはない。
私はブログやツイッターで「髙橋大輔がどれほど凄くて認められるべき人物なのか」をあまり語らないように気をつけている。言葉を重ねれば重ねるだけ安っぽく陳腐になるからだ。誰かを否定するような言葉も吐きたくない。マウンティングしたいわけじゃないから。
代わりに、「なぜ私は髙橋大輔を凄いと感じるのか、どのように心を動かされたか」を、出来るだけ伝わりやすいように書く。そういうのがいい。そういうことだけをしたい。

他の誰かの生存を祈るように、私も言葉を使いたい。