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髙橋大輔にある日突然はまってしまった日記

髙橋大輔らしさとは②



今回のテーマは【技】。

例によって技術的な解説ではありません。



フィギュアスケートにおける大技、ジャンプ。
最初の記事で書いた通り、私はジャンプっていうものが好きではありませんでした。

特に女子ばかり見ていた私にとっては、綺麗な衣装を着てくるくる舞っている女性を心地よく眺めていたのが、力んだ面持ちで助走の体勢に入ると、それだけで心拍数が跳ね上がり、手汗がやばいことに。
成功したらほーっと安心し、失敗したら、ああああ…と悲痛な心持ちになる。このアップダウンを選手全員分味わうのはものすごく、疲れる。こういう緊張いらないよー、って思ってた。
リアルタイムではない動画ではその緊張も和らいで、男子のジャンプは迫力あるなあ、とか、伊藤みどりさんのジャンプはたっかいなあ! とか、「カッコイイ」を感じてはいたのですが、それでもエキシビションが一番、安心して楽しめた。トリノ荒川静香さんの「you raise me up」は髙橋大輔さんを知る前に一番見ていた動画ですが、美しいなあ、みんなこうだったらいいのに、ジャンプなんかいらんわ、と心底思っていました。

多分、スポーツとしてのフィギュアスケートに興味がなかったんだろうな。ただ、身体芸術がテレビで見られる唯一の機会だったから見ていた。
私にとってジャンプは、「芸術的じゃない」ものだったんです。

パトリック・チャンが、この前の会見で「ジャンプは銃の引き金をひくようなもの」と言っていて、表現のあまりの的確さに膝を打ちました。
いうなれば私は、火花の美しさと威力に関心するより、発砲音にビビッていたんでしょうね。花火大会で子供が泣き出すのと同じような感じで。

しかし、その認識を変えてくれたのが羽生選手。
彼のソチでの「パリの散歩道」をテレビで見て、ジャンプを初めてきれいだと思った。銃の発砲というより日本刀の一閃を思わせるような、鋭く、美しいジャンプ。
磨き抜かれた技とはそれ自体が既に芸術であるのだと気付いた。
これはおそらく、スポーツとしてのフィギュアスケートの魅力も兼ねているのでしょうね。彼が滑るときはむしろジャンプが楽しみです。
 
 
と、前置きが長くなりましたが、ここからが髙橋大輔さんの話。


彼は、昔は踊りや表現力ではなく、むしろ技術の方で評価されていたらしいですね。なんか意外でした。2003年EXの「Desert Rose」を見ると、やっぱこの踊り心は生まれつきだ、なんて思うけど。
「勝たなきゃ見てもらえない」というように、踊りは上手いけどジャンプが跳べず、知られないまま引退した選手も、私が知らないだけでいっぱい居るんだろうなあ。

ジャンプの話から始めたので、大輔さんのジャンプについて。

大輔さんも、これまたジャンプのイメージを変えてくれた人でした。
なんであんなにふわっとしてるのか。
世界選手権の luv letter とか最たるものだし、In the garden of the souls のアクセルやルッツなんてほんとうに流れの一部、音に合わせた振付のひとつになってる。
まず助走が短い。そして着氷も「踏ん張る」感じがなく、すぐ踊りに繋がる。ノンストレスなジャンプというものを初めて見た。
ストレスといった意味ではむしろ、スピン(とくにチェンジエッジした時)が一番こう「おおっとぉ?」ってなる(笑)
まあ、リアルタイムで観戦したことが無いからってのもあるかもしれません。4回転は動画でも緊張するしね。
しかし、大輔さんのジャンプを武器に例えるなら何だろうな……なんて、こんな風にスケーターそれぞれのジャンプに違いがあると気付いて、その違いに楽しみを見いだせるようになったのは 嬉しい。

そうそう、それぞれに違いがあると気づいたものに、「スケーティング」もありました。
以前はジャンプと振付だけ見てて、広告が流れる速さなんて微塵も気にしたことがありませんでした。
でも意識してからは足元を見るのが楽しくて。チャンや小塚選手なんかの、浮いてますか?て程しゅるんしゅるんな滑りは見てて爽快で、一気にファンになった。

大輔さんのスケーティングも、見てて気持ちいい。
膝が音に合ってるからなのか、浮いてるというより踏みしめる感じなのに、滑らかで緩急があるのがたまらない。カーブを描きながらぐーっと滑る時が好きです。
磁石でくっついてるとか吸いつくようなって表現に最初は違和感を感じたけれど、氷と一体化しているみたいと言うと分かる。重みはあるけど重たくはない。どういう仕組みなのかなあ。
ローリーさんと組んだ後は、流麗さが増したと思う。

高橋大輔は、一つ一つの規定されたジャンプすら音楽に合わせる。合わせる技術を磨いたのでしょう。そうしないと自分が気持ち悪いから。
スケーティングもそう、滑っていて気持ち悪かったから一から見直した。
結果的には、観客にとってもより心地いいものになったけれど、最初はあくまで彼のこだわりだったんでしょうね。
 

それでは、芸術性……「魅せる技術」についてはどうか。
 
先日、宮本賢二先生の振付現場を取材した番組がありましたが、
指導の際の「顔の向いてない方の手がぜんぶ棒になってる」等の言葉に、私が「なんかよくわかんないけど雑」と感じるものの正体が分かって面白かったです。
集大成であるビートルズメドレーとソナチネの、いっそ別競技じゃないかとまで思わせるほどの美しい動きは、こうして作られていたのかと。
私のような観客から、コーチ、振付師、そして、誰より「人からどう見えるか」に厳しい髙橋大輔本人の目に晒されて、多くの視線の刃で削られた彫刻のように、極限まで角のとれた動きになる。
人一倍他人の目を気にする彼でなければ、なかなかあそこまでたどり着けないんじゃないだろうか。
 
彼の演技は、まず観客ありき。

たとえば観客とのコミュニケーション。
観客に視線を、時には笑顔を送り、文字通り演技に引き込む。
それは「作品を見せ、それに拍手をもらう」というスタイルとは少し違う。観客と一体にならなければ意味がないのだ。
 
4回転に挑み続けたのもそれが理由ではないだろうか。
 
私たちはフィギュアスケートを見るとき、表現豊かな演技に惚れ惚れするけれど、何がなんでも勝ちたいという選手の気迫に呑み込まれることもあるし、難しいジャンプに成功した瞬間には胸が熱くなるし、強い選手が滑る時には、期待を込めて見る。
それが、競技としてのフィギュアスケートの魅力であり、彼もそれを知っていた。
 
「褒められたくて練習してた」
「注目されるためには成績を残すしかない」
「4回転を入れなければ勝てない」
という発言。
 
金メダルが欲しいのか納得のできる演技がしたいのかという質問に対する、
「どっちもです」
という答え。
 
髙橋大輔にとっては、技術と順位も、美しさと表現も、「他人を引き込めるかどうか」ということにおいて同列であり、両方必要だったのでしょう。
そして目指した姿が、「なんでもできる、どんなジャンルでも滑れる」。

……理想が高すぎるというか、欲が深いというか。
「もうこれ以上はできない」と思った時には、疲れ切っていてもおかしくないよと思う。

しかし謎なのが、各エレメンツに対しては「この人のが好き!」ってあるのにコンポーネンツに対してはないっていう(KENJIの部屋)。カットされた部分で、男子のコンポーネンツについてもいろいろ語ってたんじゃないかなあと、妄想。



さて、いよいよ次は【心】について。今から長くなりそうな予感が……。